小峰達也profile

 

1963.2.10生 O型 みずがめ座

サーフィンとスノーボードが大好きな2人の娘の父ちゃんです

好きな言葉:「チャレンジ精神」、「バランスとタイミング」


少年期:

勉強嫌いのガキ大将。いつも近所の年下の子を引き連れて遊んでいた。この頃から上からの命令や指示が大嫌いで今に至る。この頃得意なスポーツは水泳。小学校6年間で水泳はスイミングスクールに行かずに最上級まで取得



思春期:

小学校高学年から太り始め、大好きだった水泳の授業も太ってることを気にしてほとんど仮病を使って休む。勉強も出来ず、スポーツも出来ず、ルックスも悪い自分は劣等感の塊となり周りを羨んだ。唯一の救いはお笑いのセンス。なぜかそこそこ人気者でやたらと委員をやらされる。滑り止めの高校にかろうじて受かり自分より勉強が出来ないヤツが大勢いることを知りいい気になる。私立だったこともあり多少悪いことをしても成績さえ良ければ(校内レベルで)何をしても良い的な発想を持ち世の中をナメる。



青年期:

高校卒業後一変する。大学、バイト、仕事が続かなくなり出社困難症になる。実際出社困難症と分かるのはまだだいぶ先の話で、初めの頃は単に甘えだと思い、そんな自分がイヤで許せない気持ちで一杯で苦悩の毎日を送る。19歳から29歳の10年間で長くて3年短くて数週間で仕事を次々クビとなり、数十社を転々とすることとなる。27歳の時に付き合った彼女が児童心理学を学んだ経験から、私に精神科へ行くことを勧めたが、納得がいかなかった自分はその類の本を読み漁った結果、ある人から紹介されたクリニックに通うこととなった。そんな訳で大好きだった営業マンが出来なくなり、彼女との婚約も破談となり絶対に後継ぎにはならないと思っていた畳屋をやるしか生きていく術がなくなり、30歳の時に父親の元で畳職人の修行を始める。



成人期:

畳職人の見習いを始めたものの、家から貰う小遣いの少なさに耐えかねて夜間飲食店でのバイトを始めて勘違いを起こし、飲食業で生きようと目論むが以前と同じ結果となり途方にくれる。半年間善福寺公園のベンチで読書する日々を送り、いろいろと考えた結果改めて畳屋の修行に入る。34歳の時奇特な女性と出会い35歳で結婚。同居の板ばさみやその他のことで過食が止まらなくなり10kg太るがスノーボードとサーフィンとヨガに出会い過食が止まる。その後二人の女児に恵まれ、39歳の時に父親が他界。毎晩の瞑想と眠りのテープの甲斐あってか41歳で12年間続いた毎月のカウンセリングと一日4回の抗精神薬の服用からようやく解放され、生きることの楽しさを知り現在に至る。